159 名前:名無しさん@HOME [] 投稿日:2007/04/13(金) 13:35:14
ちょっと長くなりますが。
私の実家はどいなかの兼業農家で、兄妹妹の3兄弟(私は長女です)
うちの父親は私たちが小さいころから「何が何でも大学をでろ」と洗脳のように吹き込んでた。
兄が結婚したときも父親は冷たくて、「都会の女を嫁とは認めん。うちへはつれてくるな」と言い兄嫁には一度もうちの実家の敷居をまたがせなかった。
私と妹もたまに帰省するとあからさまにいやな顔をするし「まだ嫁に行かない娘がいるなんて体裁が悪い」と言われた。
母親は父親の暴走を見てみぬふりで
兄弟VS親の関係は最悪なものになってた。
続きます。
父親が亡くなって、葬式のときに実家に久しぶりに兄弟と母親が集まった。そのとき初めて兄嫁も実家にやってきた。
私たち兄弟は死んだあとも父親が許せなくて葬式のあと飲みながらずっと愚痴をだらだらと言ってた。
そしたら兄嫁に言われた。
「そうじゃないよ。義父さんは本当にみんなが大事だったんだよ。大学に行かせたのだって、地元にいたら農家の嫁だとか跡取りだとか、そういうわずらわしい思いをさせたくなかったからだよ。わたしにここに来るなと言うのも、ちゃんと理由があって、義父さんは謝ってくれてたんだよ」
3人ともそのときはハァ?って感じだったんだけど、
葬式の後しばらくして、母親から聞いた話。
母親も都会からとついできた20歳の嫁だったんだけど、兄が生まれた後、近くの農家の毒男たちがうちに押しかけてきたらしい。
「そっちは長男が生まれたんだからもういいだろう、嫁をこっちにまわせ」と。
父親はぶちきれて大喧嘩してその場は追い返したんだけど、その後そのうちの一人がこっそりしのびこんで母親をレ○プしようとしたんだとか。
幸い父親が見つけて未遂で終わり、母親は兄を連れて実家に帰り私が生まれるまで父親は通い婚をしていたそう。
私が生まれたとき母親はもう20代後半で、毒男たちのターゲットから外れていたので同居を再開したそう(毒男理論では25すぎたら婆で用なしだったんだって)
もうひとつ続きます
地元を愛してた父親にはその件がすごくショックで、レ○プ未遂事件以降少し変わってしまったらしい。
それまでは(母曰く)生まれたばかりの兄もすごく可愛がって、大らかな男らしい人だったんだけど、ちょっと偏屈な感じになってしまって、子供たちにも心配していることを素直に言えなかった。
それに心配をする理由を言うと母親がレ○プ未遂にあっていたことも言わざるを得ないから子供に対して突き放した態度をとってしまったんだって。
本当は地元を離れればよかったのだけど、そこは農家思考で土地もあるし年老いた母親もいるしということで縛り付けられちゃってたみたい。
それを聞いてもう私たちは泣くしかできなくて、今はもう墓参りを欠かさないくらいしかできないんだけど。
でも母親結婚当時(30年くらい間)は、都会から来た嫁が他の男にやられちゃうってうち地方ではめずらしくなかったそう。
地元の娘が嫁に行ったときはそんなことは絶対なかったんだけど。都会から来た娘=村の所有物ってかんじだったのかな。
4大に拘ったのも、学のある娘は嫁には敬遠されるっていうのと、息子は一回進学で都会に出せば跡をとらなくてもしょうがないって黙認されるから。
長くなって&思い出しながら書いてたからまとまりなくてごめん。
子のスレをみつけて、思わず書き込んでしまいました。
周囲の濃化はクズ過ぎるだろう
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1253505702/
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