どうすればよかったのか今でもわからない。
親のことははっきり言って恨んでるんだけど、会って事情を知りたいような知りたくないような、心と頭の中がグルグルして夜眠れない。
どうしたらいいのかわからないでいたら、家に男の人が来て親が待ってると言われ車に乗せられた。
それから団地みたいなところに連れていかれて、10年間働らかされた。
団地の中には、私みたいな子供が20人くらいいて、親と住んでる子もいた。
私はただ行為だけで写真や映像はなかったけど、人によっては逆のパターンもあったみたい。
みんなおんなじ中学や小学校に通って、チクったり逃げたりしないようにお互いを見張ってた。どうしても高校に通いたかったけど、中学卒業してからはほとんど団地から外に出れなかった。
たまに、ほんとにたまにだけど、お客さんが外に連れて行ってくれて、洋服やカバンを買ってくれたり食事に連れて行ってくれたりした。
自分でもいつ終わるのかわからなくて死ぬまでこのままかなって思ってたら、10年前にわたしを団地に連れてきたおじさんが来て私が親の借金を返し終わったことを告げられた。
とりあえず私はおじさんにこれからどうすればいいのか聞いてみた。
おじさんは少し考えた後で、しばらくは今までどおりに団地で稼いでお金がたまったら出て行けと言った。
それからは終わるたびにお金をもらえたし、お客さんからもチップをもらえた。
とりあえず100万円を目標にしてお金をため始めた。
それから目標額になったので、団地から出た。団地から出る前におじさんに連絡して出ていくことを告げた。
叔父さんはもうすぐ団地は場所替えするからもう戻ってきても誰もいないと言って、私を最寄の駅まで送ってくれた。
私は住込みの仕事を見つけ働き出したが、社会保険に入らなければいけないとのことで、本人確認書類が必要になったので、どうすればいいのかわからなかったので、団地に行ってみた。
団地にはもうあまり人が住んでいなくて、私がいるときに居た人は誰もいなくなっていた。おじさんの言うことはほんとだった。
結局私は、昔住んでいた家のある役場に行って私の住民票があるか調べてみたら、あったので今まで未払いの国民年金とか、本当はいろいろ手続しなければいけないことを教えてもらってした。
それから5年ほどそこで仕事を続け、その間に高校認定を受け大学に行くことにした。
30近くになっていたが、予備校に通って、何とか地元の国立にはいることができた。
今は普通に働いています。
小説みたいだなと自分でも思う。
連絡が来た親とやらはお縄だと思うのですが
そうですよね。自分でもそう思うんだけど、捨てられるまでは本当にいい思い出しかないので、よっぽどの事情があったのか、あったなら知りたいと思ってしまう。
>>>223
普通に考えるとそうですよね。
今までにあった修羅場を語れ【その4】
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1406115142/
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