「実は×子ちゃん(私)は俺の子なんだよ」
と言われた時が修羅場。
当時私は高校生だった。
伯父は呆然とする私の正面で、
抵抗する母を無理やり××した、母がどういう風に泣いて~
という、エロ小説を朗読するかのような内容を長々と語った。
「困ったことがあったらいつでもパパのところに来なさい」
と肩をポンとして去っていった。
そのあとバスに乗って皆で焼き場に行ったが、
ショックすぎてお骨を拾った記憶がほとんどない。
私は具合を悪くしてしまい、病院に連れて行かれ
「体はなんともない。思春期性のストレスではないか」
と診断された。
両親には直接訊くことができず、
カウンセラーの先生を間に挟むことになって
まず話が母に伝わった。
母激怒。母から聞いた父も激怒。
「お前が伯父の子なんて有り得ない」
と熱弁された。
まず母が私を妊娠した当時、
伯父は自身の不始末のため地元にいなかった事。
伯父と母が初対面したのは私が2、3歳になってからである事。
伯父と母が二人きりで会ったことは一度もなく、
また父が許すはずがないという事。
はっきりとは語らなかったが、
どうやら伯父は性犯罪かそれに近いことをして
地元にいられなくなった時期があるらしかった。
「あいつとお母さんが二人きりで会う機会なんて、
お父さんが絶対に作るわけない」
と父は涙ながらに語り
「×男さんに何かされるくらいなら、
お母さんは舌でもなんでも噛んで死ぬ」
と母は断言した。
私は「伯父さんを信じたわけじゃないけど
惑わされてごめんなさい」と泣いて謝罪した。
伯父は「自分が独身だから、遺産の取り分を多くしたくて(?このへんの主張あいまい)私=伯父の子ということにしようとした」と自白した。
行政書士の先生に念書を作成してもらい、
以後我が家と伯父は接触禁止となった。
今この歳になって思いだせば、伯父の話は「それどこのフランス書院?」とお笑い草だが高校生当時は本当に衝撃だったし気持ち悪かった。
今でも忘れられないのが伯父が「パンティー」という単語を連呼していた事。
「そこで俺がパンティーを」「パンティーが床に落ちて」と「ティー」部分を妙に伸ばす独特の言い方でまだたまにその時の伯父を夢に見る。
遺産云々ならそんなセクハラする必要もないし嘘だろうね、当たり前だろうけど
反応見て楽しんでたのか?本当にキモい
今までにあった修羅場を語れ【その9】
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1427080256/
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