夫と死別、息子二人はそれぞれ別に所帯を持っている。
息子家族とはほとんど交流は無い。
それは私が望んだ事。
私はずっと一人暮らしをしたかった。
「男の甲斐性」と言い放ち浮気を繰り返す女癖の悪い父。
「お前(私)のため」と言って離婚せず、クドクド私に嫌味を言い続け、
言いがかりをつけては私を叩いた教師の母。
見栄っ張りの親のおかげで私は大学まで出してもらった。
卒業後、就職して自分でお金を稼げるのが嬉しくて楽しかった。
当時、女が入れる社員寮が会社にはなく、実家を出て暮らすのも親は許さないので、実家で暮らしていた。
今は死語となった結婚適齢期の終わり頃、結婚しないのは許さないと
親にわあわあ連日、喚かれ仕方ないので、見合いして結婚した。
相手は勤め先が良いだけが取り柄の軟弱男。
私は何にも自分の頭で考えていなかった。
ただただ親の言うなりに生きていた。
結婚して子供が出来て、退職した。
出産後、会社に戻れることは不可能だった。
男女雇用機会均等法なんかできる前の時代だから、そんなものだった。
舅姑は私をイビッたけれど、夫は何の頼りにもならず、
私はひたすら舅と姑の死を願った。
結婚して26年、最後に残った姑が亡くなった。
結婚生活はただ忙しいだけ。
インフルエンザで寝ていても、夫は医者には連れて行ってくれなかった。
「自分は仕事があるから無理だ」
「死ぬくらいなら自分(私)で救急車でも呼ぶだろう」
と夫は思っていたのだろう。
私に対して悪意がある人ではなかった。気が付かないだけ。
ただただ、自分が妻の介抱をするなんてありえなかっただけだろうから、
夫を恨む気持ちもなかった。
好意から「これを食べたらいいよ」と高熱で寝ていた私の枕元にバラバラと一口チョコレートを置いて夫は出勤していった。
私は黙って色とりどりの一口チョコレートを見ていた。
そして、這って台所に行き、買ってあったポカリスエットを飲んだ。
今もコンビニに行くとレジの近くに置いてあるそのチョコレートとポカリスエットを見ると
結婚生活を思い出す。
そんな不幸はどこにでも転がっている。
それこそ、その一口チョコレートのように。
残念ながら。
そういう話じゃなくない?
ずっと孤独を抱えて暮らしていたんですね。お疲れさまでした。
これからは自分の心の休養のためにのんびり楽しく過ごしてください。
気の合う友人や趣味仲間ができれば、それだけで心が温まります。
異性だろうと同性だろうと。細く長く穏やかにつきあっていける、
よい出会いがありますように。
不幸はお前だけじゃないって言うんじゃなくて、辛かったね大変だったねって慰めることができる優しい人になりたい
今の生活をめいっぱい楽しんで下さい。旅でも映画でも何でも。
温かいお言葉、ありがとうございます。
今は、そんなに贅沢はできないけれど
自分だけのための暮らしをさせて頂いております。
「息子は結婚したら他の家庭の男」と思っているので、普段は関わりを持ちませんが、
盆や正月などにipadのテレビ電話?で息子夫婦と孫の顔を見せてもらっています。
それで十分楽しく、満足しています。
レスを下さった皆様方、ありがとうございました。
何を書いても構いませんので@生活板 15
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1449300101/
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