私ではなくて母の話。
母は祖父母(母から見たらウトメ)を看取った途端捨てられたよ。
私は当時中学生だった。
母はわざわざ仕事を辞めて介護に徹していたのにさ。
もともと祖父母とは別居していて、独身の叔父1と叔父2が面倒見てたんだけど、面倒だから兄さん(父)頼むわと手紙を残して逃亡。
父は母に祖父母を介護するようにと言いつけてた。
頼むんじゃなくて命令。
申し訳なさそうな素振りは一切無し。
これは後から知ったんだけど、介護をしなければ私の高校の学費を出さないと脅されてたんだって。母はこつこつ学費を貯めてくれてたんだけど、父が散財。もう完全なエネミー状態だった母は泣く泣く従うしかなかった。
私が手伝ってはいたけどWアルツハイマーの介護はキツかった。
昼間は学校でいない間は母1人でやってたし。
反抗期に突入していた私は父にくってかかり、大事な両親ならなんでお父さんが面倒みないんだと暴れた。
後にも先にも暴れて発狂したのはこのときだけ。
父は私を嘲笑って無視し、のんびりとビールを飲んでた。
学費について何も知らない私は何故離婚しないのか母に詰め寄った。
笑って流されたけど。
そして私が高校受験に差し掛かる頃に祖母が亡くなり、半月後に祖父も亡くなった。絵に書いたような「後を追って連続で亡くなった」状況に不信感を抱いた父が、母が祖父母をころしたんじゃないかと言ってきた。
父が言うには、母には祖父母をころす動機があるから確信しているんだって。
動機が思いつくということは、母がしぬほど大変な思いをしている事は理解していたって事。
さつじんを主張している割には警察に行くことはせず、ただただ離婚を迫ってくるだけ。このタイミングで叔父1と叔父2が現れ母を精神的にフルボッコにしてた。
父は祖父母を早く逝かせるために母が虐待したと主張し、母から慰謝料をぶんどろうとしたよ。
母側の親族はいないし(母は孤児でした)、私は泣きながら学校の先生に助けてくれと訴えたよ。頼れる大人が学校の先生しかいなかった。
見かねた先生が、卒業生の親に声をかけてくれた。
この人物が母を救ってくれた。
卒業生の親が元弁護士で、そのツテで良い弁護士さんを紹介してくれたよ。
おかけで慰謝料(弁護士代であまり残らなかった)と私の学費取って離婚できた。
先生と卒業生の親御さん、弁護士さんには感謝しきれない。
母はしばらく不安定だったけど元気にやってます。
おお、上手く逃げれたんだ
良かったね
父方が未来永劫関わってこないことを祈る
離婚できてよかったね
意外に自分だけで抱え込んじゃう人多いから
今までにあった修羅場を語れ【その10】
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1430454126/
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