同居していた祖母(父方)と母はしょっちゅう言い争いをしていた。
父は空気で知らんぷり。
当時私は小学2年生で、二人の言い争いが嫌で仕方がなかった。
言い争いの原因は明らかに祖母だった。
祖母は非常にだらしがない性格で、確実に父にも遺伝している。
母は綺麗好きで潔癖気味なので、祖母のやる事なす事カンに障るようだった。
私はだらしがなくても祖母が好きだった。
手芸が得意で、キューピー人形に着せるビーズのドレスの作り方を教えてくれたのも祖母だった。(これがまた可愛い)
それすらも母には面白くない出来事。
私が原因で言い争いが起きることもあった。
もうね、何日も帰ってこなくて。
両親は何も言わない。
私は、自分が祖母の味方をしてやらなかったから怒って絶交されたんだと思った。
放課後、ランドセルを背負ったままあちこち祖母を探し回った。日が沈んで帰り道がわからなくなり、たまたま犬の散歩してた近所のおじさんに見つけてもらった。
おじさんにこんな時間にこんなところでどうした?と聞かれた。
私は「おばあちゃんがいなくなった!探してもどこにもいないの!私のせいなのごベンなざいぃぃ」とワンワン泣いた。
母にはしこたま怒られた。
もう祖母を探すのはやめろ、ご近所に変な噂を立てられたらどうする!
といつまでも怒っていた。
「お母さんはおばあちゃんを探さないの?」と聞くと、
「探さない」と淡々と返された。
このときから母と私の関係はギクシャクし始めた。
叔母は祖母の居場所を知っていた。高校生にもなるとうっすら予想はついていたが、祖母は老人施設にいた。
私は両親に秘密で祖母のいる施設に行き、祖母に会ってきた。
10年ぶりに会った祖母は記憶していた姿より随分痩せていました。
なによりもショックだったのが、祖母が私を覚えていなかったこと。
認知症がかなり進んでた。
「こりゃあ綺麗な娘さんが来てくれたもんだ!はじめまして」を繰り返し、私は孫だと伝えても「孫?父ちゃんったらいつのまに子をこさえて!」と返された。
帰りの電車の中で心が痛くて泣きまくった。
祖母はまだ生きている。年齢が三桁に突入したよ。
今度ひ孫の写真を見せにいくよ。
あなたは良いお孫さんだわ
今までにあった修羅場を語れ【その4】
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