昭和20年3月8日未明、米軍から無差別爆撃により火の海と化した東京下町を当時女学生だった祖母は両親・妹2人と逃げまわっていた。
飛び込んできた人々でごった返した川面の中で、祖母一家があっぷあっぷしていると、どこからか長細い板切れが流れてきた。
素早く泳いで、板切れに上半身を乗せ、がっちりと板を抱え込んだ。
板切れは小さく薄く、人が二人乗ったら沈んでしまうことは傍目でもわかった。
祖母母は「娘のどちらかに譲って!と叫んだが
祖母父は「板に触るな~!俺は生きる~~!」と絶叫して板にしがみつくばかり。
そのうち祖母は体が冷えて、意識を失ってしまった。
目覚めた時、祖母は人が何人も乗った大きな板の上で(流れてきた看板だったらしい)見知らぬ男子高校生に抱かれていた。すぐ傍には号泣している祖母母と妹がいた。
祖母父に見捨てられた後、気絶した祖母を抱いた祖母母、泳ぎが達者な妹の3人で荒川を漂っていると人が何人も載った大きな板に行き会った。
妹だけは板につかまることができたが、祖母を抱えている上に元々体力のない祖母は板まで泳ぎつくことは不可能だった。
しかし引っ張り上げられた妹が母と姉を指さして「二人が死んじゃう!」と訴えたところ、妹を引っ張り上げた男性の息子が荒川に飛び込んで祖母とその母を救出してくれた。
その男性の息子が祖母を抱いていた男子高校生であり、祖母の未来の夫。
板の上で地獄のような一夜を明かし(最大積載量ぎりぎりまで人が乗っていたので板につかまろうとする人を追い払ったり、目の前で沈んでいく人を見頃しにしなければならなかったりなどつらい体験をした)、何とか生き延びることができた。
救護所の一つ屋根の下でけが人の手当てや配給配分の手伝いをしているうちに祖母と祖父は恋に落ちて数年の交際を得た後ゴールインしました。
母が「じいちゃんは、ばあちゃんに一生頭が上がらなかった」と不思議がっていたがそういうことだったのか・・。
祖母父の名誉のために、大空襲での祖母父の行動は、祖母母・祖母・大叔母だけの胸のうちにしまわれ、祖父も母も知らない。
祖母の両親も私が生まれる前に亡くなり、祖母が「もう父ちゃんも成仏してろうだろう」と10歳になった私に教えてくれた話。
まぁ、曾爺ちゃんが屑な行動とらなかったら祖父と祖母が出会うこともなく、母も、当然私も存在しないわけでそういう意味では祖母父に感謝している。
今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その17
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